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2011年6月 7日 (火曜日)

34年前の中国は・・・

ウィーンにいながら中国の旅行ブログを書いている変な管理人ですcoldsweats01

管理人の旅好きおやじが中国にはじめていったのは、1977年。

それは広州でした。中国への入国理由も「広州交易会に参加する為」という条件付で中国入国が許可され、もしさらに我々が広州以外の都市に行こうとすると一苦労する時代でした。

ということでこの記事での中国の年代比較は広州と北京になっちゃいますが

そのことを割り引いても、先週訪問した今の北京と当時では環境に天と地ほどの差がありました。

なにしろまず当時は簡単に中国には入れない時代で、日本から中国へ飛行機も乗り入れしていない時代。

そこで、まず香港に入ります。

そして確か「フラマホテル」だったと思いますが、そこで一泊をしなくてはいけないのです。

このホテルもその当時の指定旅行代理店「日中旅行社」のアレンジだったと思いますが。

その翌日、香港からは汽車に乗って「シンセン」へ向かい、そこの駅で一旦下車するのです。

すると、駅の一角に中国の国境税関があり、そこで税関員にパスポート、入国ビザ、荷物をチェックをされます。

管理人の場合はそのとき、日本航空の機内誌「WING」、今はスカイワードでしたっけ、を所有していたのをとがめられ(特集記事が「台湾」だったのを理由)機内誌を没収されました。

その当時のシンセンはのどかな農村で、一面田んぼと畑。

農夫がこの鉄道税関の横を牛を連れてゆっくり横切っていたのを記憶しています。

広州につくと、ホテルが割り振られ、白人用と日本人用、確か白雲寶館、東方寶館ともうひとつが指定だったように記憶しています。チェックインを行います。

チェックイン後ホテルの部屋を割り振られると、各部屋がある階ごとにカウンターがあり、

そこで人が常時張り付いていますが誰も中国語以外話せません。

つまり15階建てのホテルだと各階に15箇所のカウンターがあるわけです。

そしてその部屋はというと、二人~三人が一部屋でしか泊まれなく一人部屋はありませんでした。

一度某一部上場会社の創業者一族の社長を連れて行ったときも、そこでは社長と取締役の二人で一部屋に泊まってもらい(了承はしてもらったのですが)、大変恐縮した記憶があります。

当然、この当時の中国にはエアコンなんていうものもなく、各部屋に扇風機がひとつしかないのですが、初夏の広州は蒸し暑く、窓際に扇風機を置いて、窓を開け放って寝たものです。

ところが、早朝になると外から大きな雑音が入り込みいやがおうでも目を覚まされます。

それはなにかというと、自転車の群れ。

ものすごい数の自転車が道路にあふれて通勤移動をしているのですが、その自転車の群れを黒塗りの中国製の自動車「紅旗」がかき分けるためにクラクションを鳴らしていたのでした。

あれから34年。

中国のホテルもアメリカ系のチェーンホテルが無数に存在し、そこの従業員も当時と異なり笑顔のマナーを身につけて接してくれます。

そして現在移動に使う北京の地下鉄は快適で、切符は自動販売機。改札も自動。そして列車の乗降の際に、乗る人は横で降りる人を待つというマナーもかなり浸透していました。

この34年、夢中で世界を走り回ってきた自分も、この進歩を目の当たりにして

ずいぶんと年をとったものだと考えさせられてしまいました。

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本日も駄文に最後までおつきあいくださりありがとうございました。いつものように下のバナーをくりっくしていただければうれしいです。

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